The Butoh ――A dedication to Tatsumi Hijikata
 Part 2
Abyss of ”Quiet House”

 
 Infinite Transformation of Shisha among infinite Behind Worlds
 

2-4 Vaporized and Materializing


"Ash girl" ;the third chapter of "Quiet House" begins as Soul and Spirit, and end as Materializing.
It means the all part is performed by the vaporized body throughout the whole time.

3. Ash girl

Soul and Spirit

Bug

Whereabouts

Nobody visits any more

Nobody can sleep any more

Can Flower or Iced Flower

An extreme fulfillment came to her and she became an incredibly beautiful being.

She learned the various customs of Shisha

A dream of horsemeat (*7)

A man who was dragged out of the behind room

A mad man-child sitting on a chair = a beast

Dance the beginning of Kanchen (*8) naked

Use the floor technique of Framan

The morning when a storm has come

Materializing

        (*7) A dream of horsemeat: cf. Ch. 4 and Ch. 7

        (*8) Kanchuin: cf. Ch. 5

 

4. (Vaporizing)

1.     Flower, Rain, Girl, Use all of them

        Mask or Bug

        Doll – Ash Girl – Washing Clothes – Nobody visits any more

2.     Running from Bird to Girl, Girl vaporized and sitting technique

3.     Witch [A] is vaporizing

4.     Witch, who is connected to the red salmon head, is vaporizing

5.     The Great Witch, who dreams of horsemeat, is vaporizing

6.     Various Whereabouts are vaporizing

        Water – Obon (*9) – A far away forest – Shisha

 (*9) Obon: Special days in August when ancestral spirits return home

 


15. Slow diffusion

Keep in mind not to vaporize all at once.

        A development should be attempted in the vaporized condition.

        This issue will also become clear before long.






Read more "The Butoh"


( These researches are also written at Subbody Journal 2012 with more concrete practice process.)

Read more "Subbody Journal"
 

 
第3章 気化と物質化


「静かな家」第3節「灰娘」は、第1行「魂と精霊」で始まり、
最終第15行の「物質化」でおわる。
これは、1行目から14行目まではすべて非物質の
気化したからだで踊られることを意味する。
全ては死者の夢なのだ。


3 「灰娘」

 

魂と精霊

ゆくえ

もうだれも訪れない

もう誰も眠れない

○かんの花

○過度の充実が来て彼女はとほうもない美しい者になった

○死者達のさまざまな習慣を覚えた

○馬肉の夢

○座しきから引き出されてきた男

○イスに座って狂った大人子供=ケダモノ

○裸でカンチェンの出だしを踊る

○フラマンの寝技をつかう

○嵐が来た朝

○物質化



6行目の「かんの花」は、生徒の舞踏ノートから、
「癇の花」であることが導かれる。
「癇の花」については、いろいろな言葉で変奏されている。

患部ではなく全体的患部」
「岩のセミの出来のわるい眼」
「死にたがっている猫」

などなど。

2行目の「岩のセミ」は芭蕉の有名な句が下に敷かれている。
「閑けさや岩にしみいる蝉の声」
岩に沁み入った声がそこで癇癪をおこして滞り、
おできのような出来の悪いやぶにらみの岩の眼に変成している。
そういう目で歩け。
「癇の花」のような、もっとも美から遠く見えるものでさえ、
最適の序破急をさえ得れば、花に転じることができる。
「癇の花」を咲かせることができるかどうかは
序破急成就をどこまで身に着けたかの試金石になる。
探れ。
もっとも醜いものが、花に転じる、序破急舞踏マジックを成就する瞬間を。
それこそが創造なのだ。

最終行の「物質化」とはなにか。
死者はあらゆるものの形を借りることができる。
何でもいい。手近なものになればよい。
だが、古来から精霊が宿るのは石とか樹とか山とかに相場が決まっている。
インドから東南アジアを経て日本にいたるまで、
石を信仰の対象とするもっとも古い形のアニミズムの心が残っている。
西洋では、もっとも古い元型は大母(グレートマザー)とみなされてきた。
人類最古の彫刻とされているのも、
象牙に彫りこまれたグレートマザーの像だ。
だが、これら有形の元型のさらに祖型は無形の石だったに違いない。
石は無限に変容するマナやピーやカミやアルトマンなどが
ほんのしばらく身を休めるもっとも手頃な場所だったのだ。

死者の無限変容は、
石に代表される物質化と、気化とのあいだで起こる。
だが、いったい気化とは何なのか。


 

4 (気化)

 

一番―花、雨、少女、全部使う

   仮面、あるいは虫

   人形―灰娘―洗たく―もう誰も訪れない

二番―走って鳥から少女、少女気化して座り技

三番―魔女A気化する

四番―赤いシャケの頭にかかわる魔女気化している

五番―馬肉の夢を見る大魔女気化している

六番―さまざまなゆくえが気化している

   水、お盆―遠い森ー死者

 


土方は幼少期、飯詰め(いづめ)と呼ばれる藁でできた保温器に
昼飯と一緒に詰め込まれて田に運ばれた。
昼前までは飯の温みが子供にとってもありがたかったろう。
だが、昼を過ぎ暖かいご飯がなくなってしまったあとも
飯詰めに詰め込まれたまま寒い野に放置された子供は悲劇である。
脚は凍え、縮かみ、もはや立つことも能わぬからだで、
赤子の土方はビェービェーと哭く。
だが、泣き声はそれより強い風にかき消されて、どこへも届かない。
動くこともならず、泣き声を届けることも能わぬ幼児は
気化して飛び立つことを夢見ることしかできない。
気化する夢だけが行為といえるような、
自分ではどうすることも出来ない拘束状態に置かれたとき、
透明な存在になって飛び立とうとする気化の必然が降りてくる。
土方は死んだ姉が置かれた悲惨な状況を思う中で、
この幼年期の飯詰め体験が二重化されて共振し震えていた。

いまここにいたたまれないクオリアを探れ。
いたくない場所に縛り付けられた命を思え。
毎日飢えた兵隊千人の性欲を満たさねばならない性器として、
いたたまれない地獄の状況に閉じ込められた土方の姉は、
気化して煙や行方のようなものに身を変えてでも、
ふるさとに帰りたかったに違いない。



 
第4章 精神のかげり



5 精神のかげりとして捉えられたもの

  

   きわめて緩慢な少女

   のびきったキリスト

   のびきったままおろされたキリスト

カンチュイン

狂王の手―虫、鳥、棒

坐せるカトンボ

これらはワルツによってほとんど踊られる

そうして、Xによる還元と再生はあの遠い森や、
目の巣から飛び立っている、

尚、死者は、これらのものにことごとく関与している

これらを舞踏するために、登場する何者かは、鳥のおびえ、
虫のおびえに、通じていなければならない。



精神のかげりとして捉えられたものとは何なのか。
去年までどうもしっくりつかめていなかった。
だが、なんだか変なことが感じられる。
それが何か、これまでよくわかっていなかった。
ある日、小見出しをうつらうつら眺めていると、
あぶり出しのように全体像が浮かび上がってきた。


赤い神様
死者
魂と精霊
気化
精神のかげり
馬肉の夢
鏡の裏
ふるえ
メスカリン手


「静かな家」の各節の小見出しあるいはキーワードを
羅列してみると、一つのことが見えてくる。
土方はこれらの総合によって心身のある状態を
醸成しようとしていたことが。


「恣意的な破壊よりは、眠りだけでよい、
しどろもどろでよい、もうろうとした状態でよい。
つまり、曖昧な意識のさまよいが重要だ。

(未発表草稿)

そうなのだ。
これは下意識のからだ、サブボディそのものである。
その状態に、手を変え品を変え角度を少しずつ変えてアプローチしている。
わたしは、そうと知らずに土方とは別にサブボディメソッドを
掘り進めてきた。
そしてここへきて、やっと分かった。
土方もまた、まったく同じ坑道を掘り進んでいたことに。

「精神のかげりとして捉えられるもの」とはサブボディのことだ。
精神が明晰な昼間の意識を表すとしたら、
精神のかげりとは、もうろうとした影の意識、
変性意識状態、サブコンシャスそのものだ。
そこでは独特のサブボディ速度で時間が流れ、
無限の変容が起こっている。
からだの闇でもっとも見慣れた光景だ。

微速動から、虫のワルツへ、
きわめて緩慢な動きは下意識のからだのもつ基本的な速度である。
それがときにさまざまに変奏される。
虫や鳥や棒のリズムによって。
遠い森や目の巣から飛び立っているXによる還元と再生によって、
絶え間ない変容流動が続いている。
鳥のおびえ、虫のおびえという祖型的な情動や体動は、
ユングが発見した集合的無意識の内容である元型的なイメージの
さらに深層にたゆたうクオリア流である。
わたしはからだの闇の旅で、
前人未踏の坑道を掘り進んでいるのだとばかり思っていた。
ユングの「無意識との対決」をめぐる瀕死の体験記や、
ミンデルの「シャーマンズ・ボディ」だけが闇の旅の頼りだった。
だが、なにからなにまで、土方が私たちより先に旅し、足跡を残している。

なぜ、「静かな家」が気になって仕方がなかったのか。
なぜ、こんなに執着して取り組んできたのか、その謎がやっと解けた。
「静かな家」はサブボディメソッドのふるさとだったのだ。
同郷の友と時空を隔てて邂逅していたのだ。
これまで、土方独特のレトリックに気を取られて、
静かな家でであうものがみなこれまでのからだの闇の旅で
見慣れた風景であることに気づかなかった。
なんだ、なんだ、そうだったのか。
土方はサブボディメソッドの先駆者だったのだ。

ただ、おおきな違いがひとつある。
土方の時代は、土方一人がこの秘密の坑道を降り、
生命の創造性に触れてさまざまな舞踏を創造した。
そして土方はそれを芦川羊子をはじめとする弟子に振りつけた。
弟子にはこの生命の創造性に触れさせようとはしなかった。
振付家と踊り手という区分が画然と存在していた時代だった。
おそらく土方には自分がもうろうとした変性意識状態になって
生命の創造性に触れ、無数に湧き上がってくる創造をこなすだけで
精一杯で、他の人をその変性意識状態に導く「調体技法」を
確立する発想も余裕もまったくなかったのだ。

サブボディメソッドは、万人に開かれている。
誰もが土方が通ったからだの闇の坑道を掘り進んで
生命の無限の創造性に触れることができる。




「舞踏論」をもっと読む


Back to Subbody School Homepage
←BACK  ■  NEXT→